SNSでもなんでも、「殺人犯はなるべく早く、なるべく苦痛を与える方法で死刑にすべきだ」という論を見かける。そして私は、この論に非常にモヤモヤする。その理由について、書いていきたい。
そもそも、死刑は何のためにあるのだろうか。死刑には、将来起こり得る犯罪に対して威嚇すること(一般予防説)と、矯正不能な犯罪者を排除すること(特別予防説)の二つの目的がある[1]。これらの目的は尤もらしいが、疑いの余地が無いとは言えない。まず一般予防説についてだが、死刑制度を廃止した国において、凶悪犯罪が増加したというデータは無い[2]。また、犯罪者を「矯正不能」と判断するのは非常に困難で、不可能のように思われる。これより、死刑は非常に問題を抱えた制度である。
話が逸れてしまったが、今回私が主張したいのは死刑制度の撤廃ではない。犯罪者を人でなしのように扱う言動への非難である。
犯罪者であろうとも、すべての人間は人権を持っている[3]。また、犯罪者に対して拷問や残虐な刑罰をしてはならない[4]。それなのに、やれ火あぶりにしろだの釜茹でにしろだの空想的で非現実的な発言が市民権を得つつあるように見える。実際はノイジーマイノリティーの戯言であると信じたいが、SNSだけでなく現実でもこの主張は耳にすることがある。
1980~2009年において、被害者が一人で死刑を求刑された殺人事件のうち死刑を宣告されたのは32%である[5]。これを多いと捉えるか少ないと捉えるかはそれぞれだが、とにかく一人を殺しただけでは、(動機や残虐性にもよるが)死刑になる確率は3割程度である。それなのに、単純な殺人事件で「死刑にしろ」と軽々しく言えるのは、少し感情的過ぎる。これには被害者や遺族への同情も含まれているのだろうが、司法は復讐のためにあるのではなく、犯罪者を更生するためにあるのだ。だからこそ軽々しく死刑を持ち出してはいけないし、犯罪者を人として見る必要がある。被害者に感情移入できるのに、犯罪者との対話を拒否するのは、非常に惜しい。
最近で積もった釈然としない気持ちを解消するために一気に書いたため、話の前後でずれたことを言っているかもしれない。しかし、同情こそしなくとも「こういう意見もあるんだ」程度に捉えてくれればとてもありがたい。中には「なぜお前は犯罪者に優しい主張をするんだ」と思われる人もいるかもしれない。ただ、再犯の理由として、「学業や仕事を続けられない・仕事が見つからない[6]」という側面もある。つまり、犯罪それ自体は許してはならないが、既に罪を犯した犯罪者にはどうしようもないことだし、必要なのは本人の反省と社会復帰への手助けだと思う。そして、これこそが再犯率を下げ、我々社会の利益に還元していくと考える。
1) https://www2.rikkyo.ac.jp/web/taki/contents/2009/20100118.pdf
2) https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/activity/human/criminal/deathpenalty/shikeiseido_yesno.pdf
3) https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
4) https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION#102
5) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B1%B1%E5%9F%BA%E6%BA%96
6) https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/58/nfm/n_58_2_7_4_3_5.html