以下は2020/12/16に投稿したものです。
概要
大田区は東京23区の南端に位置し、人口約74万人(2020年11月現在)を誇る区である。また、面積が61㎢と23区内で最も広い事でも知られている。
1947年に大森区と蒲田区が合併したことで大田区ができた。
名前の由来もこの2つの区の名前であり、大森区の大と蒲田区の田がくっついただけという単純な造りとなっている。
23区で都心から最も離れている(川口市や市川市とほぼ同じ)が、昼夜間人口はほとんど変わらない。
東側は埋立地が多く、面積の1/3を占める羽田空港も埋立地の上に設置されている。
また、大森駅周辺には丘陵があり、名称を持つ坂が約50ある。
交通
JRの駅は大森駅と蒲田駅の2つあり、どちらも京浜東北線が通っている。大森駅は乗り換え路線のない駅としては乗車人数平均が一番多い。
蒲田駅は23区で最南端に位置するJRの駅である。
また、京浜東北線と並行して京浜急行(本線)が走っている。
ちなみに、大森駅と蒲田駅にはそれぞれ大森海岸駅(品川区)と京急蒲田駅があるが、どちらも700m以上離れている。
よって、この間を徒歩で行くのは少し精神的にきつく、バスを利用するのをおすすめする。
また、現在蒲田駅から京急蒲田駅を結ぶ蒲蒲線の建設が検討されている。(後述)
京急蒲田駅で支線として空港線が存在し、羽田空港へ繋がっている。
蒲田駅からはすぐ東急の蒲田駅に乗り換えができる。
蒲田駅からは池上線と東急多摩川線が伸びており、それぞれ五反田と多摩川まで走っている。
また、現在東急蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶ蒲蒲線の建設が検討されている。
正確には矢口渡駅付近で地下に潜り、東急蒲田地下駅、京急蒲田地下駅を建設、大鳥居駅の手前で京急空港線に乗り入れるというルートである。
事業費は1260億円となっており、31年で黒字転換する見込み。
2020年6月から協議が本格的に行われ、早ければ2030年に完成する予定である。
新宿、渋谷から羽田空港へのアクセスが向上すると言われている。
分割案
前述の通り、大田区は23区最大の土地を持ち、管理がずさんになっていると区民から非難されることがしばしばある。また、ブランドイメージの存続危機や治安悪化などの課題も存在している。
そこで、大田区を大森地区、蒲田地区、田園調布地区、羽田地区の4つに分割、編入することによって前述の課題を解決するという案がある。
そもそも、なぜ今この分割が必要なのかについて述べていく。
山王や田園調布は高級住宅地というブランドを持っている。
また同じ大田区である蒲田地区は南の足立と言われるほど治安があまり良くない。
よって、大田区というだけで山王や田園調布のブランドイメージが損なわれてしまうのではないかと危惧している。
実際、山王にホテルを作る計画があったが、住民がホテル営業に反対し、反対署名は2700人に達した。
つまり、彼らは地域のブランドが損なわれることに関して危機感を募らせている。
よって、大田区を分割することは必然的なことである。
では、どのように分割をしていくのか。
大森地区は山王のブランドに似た品川区へ編入。
田園調布地区も同じように世田谷区へ編入。
蒲田地区は治安の悪さから川崎市蒲田区とする。
残った羽田地区を羽田区とし、独立。
この案で協議していくことを検討している最中であり、今後の大田区の対応に注目したい。
事件
蒲田は治安が悪く、潜伏するのに有利な地域である。その中でも大々的に報道された事件として、高橋克也の逮捕である。
高橋克也はオウム真理教関係の事件に多く関わっており、指名手配された最後の一人でもあった。
蒲田駅から徒歩10分のところにある漫画喫茶で通報、逮捕された。
このように、大田区には様々な事件が起きている。
東蒲田二丁目アパート内主婦殺人事件
2000年2月19日に東蒲田二丁目のアパートで主婦が殺害された事件。
容疑者のうち4人は逮捕したものの、残り一人は事件の翌日に中国へ帰国、消息を絶った。
ちなみに、容疑者は被害者を不法に入国させたとして逮捕された過去がある。
現在でも指名手配されており、捜査を進めている。
蒲田女児放置死事件
2020年6月に蒲田のワンルームマンションで3歳の女児が衰弱死した事件。
原因は母親の育児放棄であり、8日間放置されたと言われている。
女児を放置している間、母親は鹿児島市の交際相手のところに遊びに行っていたという。
帰宅後、女児の死体に気づき自ら119番通報したとみられる。
八中事件
少なくても19年前に大森第八中学校の保健室で男子生徒と保健の教師(女子生徒という説もある)が行為中に突然痙攣を起こし、救急車で運ばれるという事件が起きた。
保健室という共有的かつ閉鎖的な空間で行為に及んだこと、救急車で運ばれるという極めて異常な出来事により、インターネット上などで広がり、今でも話題になることも多い。
ちなみに、何中かを隠す状態であったが、月曜から夜更かしで紹介されたことがある。
また、当時の八中は水筒の中にウイスキーを入れて飲んだり、シンナー吸引で倒れたりというくらい荒れていたらしい。
その他
大森貝塚はその名称から大田区で発見されたと思われがちだが、実は品川区で発見されたものある。貝塚を発見したモースが論文に発掘場所を記載しなかったため、発掘地点が大田区説と品川区説の2つに分かれていた。
しかし、その後の調査によって、東京府が品川区の土地所有者に補償金を支払ったことが判明。
また、品川区の貝塚碑周辺では貝層が再確認されたが、大田区側では確認されなかった。
よって現在では品川区のものであると考えるのが一般的である。
実は日本初の鉄道による死亡事故は大森駅で起きている。
1885年10月13日、深夜一時ごろ、池上本門寺の参拝用の臨時列車が転線する際に誤って開通していない分岐器に侵入。
客車が脱線転覆し、乗客死亡者と負傷者が1名ずつであった。
関連URL
大田区ホームページ蒲蒲線事業計画
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken_jiko/ichiran/ichiran_11-20/178.html
八中事件の記述があるmixi
八中事件に関する記述