以下は2021年12月27日にNoteに投稿したものです。
学校も塾も終わり、師走という割には堕落した生活を続けている毎日です。
流石にこのまま年を越すのはあれなので、今年を振り返ることにする。
やり遂げたこと
虚無の自己肯定感を上げるためにもポジティブなことからやっていく。・電通ビルと中銀カプセルタワービルを見る
いつか見に行こうと思い、検索してみると意外と近くに固まっていたので、同時に見ることに。
電通はネット上だと悪いイメージが付きまとっている気がするが、(上場企業であるためより一層)外見は綺麗であった。
平べったく見えるポジションも探し出し、よい写真が撮れた。
ただ、ビルの周りの至る所に「内部の撮影禁止」という看板が立てられていたので、少し離れたところからしか撮ることは出来なかった。
中銀ビルは古そうなビルが多い中でもより一層異質な雰囲気を漂らせている。
カプセルを取り出せる構造のため、崩れそうで少し怖かった。
見る分には十分だがあまり住みたくはない。
ただ、取り壊されるらしいので今のうちに見に来てよかったと思う。
・IKEAのサメを買う
ある日、渋谷のIKEAに足を運んだ。
目的はサメのぬいぐるみを買うためである。
IKEAは幼少期から度々お世話になっており、現在使用している机やライトもIKEA産だ。
昔からサメの存在は知っており、ぜひとも家に招き入れたいという願望があった。
渋谷駅を出ると、普段生活している世界とはまるで別であり、同じ時間軸に存在していいものなのかという気持ちだった。
コンクリートを覆いつくすカラフルな髪と、絶え間なく訴え続ける広告の波。
初めてではないのに、毎回新たな発見がある。
IKEAの中に入り、エスカレーターに乗る。
サメを探すことのみを頭にそこら中を歩き回る。
そしてカゴに大量に入れられたサメの群れを発見した。
1999円。この感情を満たされるのであれば十分安価であった。
レジを通り、バッグに入れようとしたとき、誤算が発覚する。
サメが想定外に大きく、2/3は出てしまっていた。
結局、無理矢理押し込んで無事家まで運搬することができた。
サメは私にとって、埋もれていた感情を再発見させ、哲学的な思考を促してくれる存在であると思う。
・夜の公園に行く
近所に森のような大きな公園があり、友人と深夜そこに行った。
街灯が高頻度で並んでいるので、そこまで暗くないが、人気が全くと言っていい程ないのが強い違和感を引き起こした。
落ち葉を踏みつけながら歩いていくと、動物が走っていく音が聞こえた。
少し恐怖を感じながら歩いていると、リールに繋がれた犬を見つけた。
その近くには人間も複数匹おり、戯れているようであった。
理由もわからず顔が少し強張む。
その横を申し訳なさそうに通っていったが、後ろを極端に気にする程緊張した。
心霊的なことを信じない私にとって、一番の恐怖は人間なのだと悟った。
その後なんともなく帰宅したが、今思うとあのスリルがたまらなく好きなのだとわかった。
そのうちまた行く。
・英単語帳を一周する
いきなりインドアな話題で申し訳ない。
高校に入ってから堕落した生活を送り、せっかく計画を立てても実行に移れなかった。
しかし、来年は受験生ということもあり、流石に少しずつ勉強しなくてはと思い、単語帳に手を出した。
正直大変ではあったが、それを超えた後の達成感や自分自身に対する自信は少しばかりついたのではないかと思う。
これから人に馬鹿にされても「単語帳一周できるほどの心の持ち主だぞ」というマウントで腹を防御することができる、はず。
やり遂げられなかったこと
体感的にこっちの方が多い気がする。しかし、失敗から学ばないので記憶から消されている場合が多い。
・競プロのコンテストに出る
毎回AtCoderのABCの問題を解き、レベルアップしたいと思いつつも、結局バーチャル参加しかできずレートはアカウント作成当時からほぼ横ばい。
まあ過去問で練習しているのでそのうちなんとかなったらうれしい。
・ちゃんとした文章を書く
正直中学生の時が一番文章を書いていた気がする。
受験が終わったころから虚無感に包まれた腕は、キーボードから私を近づけさせない。
後は単純に書くようなネタが少なく、感性の衰えを感じざるをえない。
段々人間としてあるべき姿から遠ざかっていると思う。
あとは読書する量も減り、疲労が四六時中まとわりつくようになってしまった。
埋葬される日も近い。
失敗から学ばない系人間なので挙げようにも思い出せない。
そもそも記憶にすらない話をどうして出すことができようか。
来年したいこと
来年は受験生なので、やはり勉強がメインテーマになっていく。だからこそ冬休みのうちにやりたいことを最後の一滴まで絞り出し、できるだけ実行に移したい。
とは言っても将来の展望なんて見えやしないし、無情な時間のみが部屋を通過していくのだろう。
いずれにしよ、来年はより多忙な日々を送ることは自明であり、暇を感じられるのも今の私に残された最後の特権なのかもしれない。
暗い話ばかりで申し訳ない。
それではまた来年。