以下は2021年11月28日にNoteに投稿したものです。
1か月TikTokを利用して思ったことをつらつらと書いてくだけです。
1ヶ月間TikTokを使用してみて、このアプリは情報を受容する我々にとって最も適したシステムを採用していると感じる。
アプリを開くと、早速知らない誰かの動画が流れてくる。
例えばTwitterの場合、アカウントを作った直後勝手に知らない人のつぶやきがタイムラインに流れることはない。
そのためどうしても自発的に得たいコンテンツを設定しなくてはならない。
また、TikTokは興味が惹かれれば視聴を続ければよいし、興味が無ければスクロールするだけでいい。
また後で見たいと思えばワンタッチでいいねが押せる。
つまり、TikTokは最短距離で最小単位のサービスを提供するアプリなのである。
初めて触れたとしても直観的に操作しやすく、動画というコンテンツを邪魔しないようにボタン配置が正確に行われている。
また、コンテンツについてもJK御用達のアプリに私は全く関係ないと思っていたが、知名度を上げた現在その種類も莫大であり、検索すればほぼすべてのジャンルを網羅しているのではないかと思うほどである。
外国のいわゆるインフルエンサーと呼ばれる人々も多く参入しており、その盛り上がりは当分とどまらないのではないかと思う。
以上の点より、TikTokは受容に関してはTwitterやInstagramと比べて優れていると感じた。
では、次に情報を発信する側の立場になってみる。
TikTokでは動画を撮らなくては発信する側として立つことは許されない。
まずは素材が必要だし、その上で音楽や字幕など好きな情報を付け加えて一つの動画を投稿する。
自由度があり表現の域も十分広いのだが、どうしても面倒くさく感じてしまう(どのような表現方法でさえ受容より労力を費やすのが世の常であることも付け加えておく)。
Twitterは文、Instagramは写真が基礎となっている。
その上で動画というツールを使用することが可能となっている。
もちろん、文より写真、写真より動画の方が多くの情報を載せることができるのは確かだ。
しかし、どの方法が一番手軽に投稿できるかと言えば、やはり文章なのである。
動画による表現はハードルが高く、手を出しにくいのが実情である(その結果としてダンスや歌など編集をほとんど必要としない文化が広まるのだが)。
TikTokはわずかな発信者が莫大な受容者へ栄養を与えている構造でできているのだ。
そして、受容者に優しいシステムのため、その依存性は他のSNSよりも高いと感じる。
また、発信者としていたい自己顕示欲の大きな人間には向いていないのかもしれない。
それでもTikTokは受容者の時間を吸収しながら今後さらに発展していくのだろう。
また、情報を発信せず脳死で受容のみしているのは危険だと思う。
その姿は画面を上にスクロールし続けるだけのロボットであり、娯楽の意味からかけ離れているような気がする。
特にTikTokを批判するつもりはなく、ここまで成長したのは戦略の結果であると思うが、それを利用する人々のリテラシーが今問われているのではないかと危機感を抱いている。
もしくはそのような状況がTikTokによって顕著に表れ始めただけで、あらゆるデバイスについてこの危機は既に肥大していたのかもしれない。
とにかく人間として受け取った情報は生かさなくてはないも同然である。
それでは私はTikTokを見てから寝ます。おやすみ。