以下は2022年1月29日にNoteに投稿したものです。
コーヒーカップを地球へ
例えば、コーヒーカップを手から離して落としてみる。無言で空中を通り過ぎ、床に激突、悲鳴が上がる。
衝撃音が収まり、こぼれる茶色の流血がその悲惨さを物語っている。
では、このコーヒーカップは割れていない状態に戻すことができるだろうか。
コーヒーはカップの中にきちんと納まり、手でしっかりと固定されている状態に戻すことができるだろうか。
答えはNOであり、このコーヒーカップは不可逆的かつ可塑性を含んでいる。
つまり、元の状態に戻すことは「もしも」の世界でしか起こらないことであり、その瞬間を目にすることは未来永劫ないのである。
つまり、「もしコーヒーカップが元に戻ったら」などと言う話は不毛なのである。
約束は守られて
ではこんな例はどうだろうか。ある壁を叩く場面を想像してみる。
ほとんどの場合、壊れずに手が少し赤くなるだけというのはニュートンやガリレオが保証してくれている。
しかし、もしその手が壁を貫通し、数多もの破片が崩れ落ちてきたらどうだろうか。
思いがけない現象を目の前にして気が動転し、特にこの時期は当分の間寒さに悩まされることだろう。
まあ、そんなことはまずありえないのだが、果たしてこの話は不毛なのだろうか。
私は不毛ではないように感じる。
まず、想像しただけでまだ実験していないのだから、「壊れなかった現象」も想像でしかないのだ。
その壁はコンクリート製かもしれないし、クッキーでできたものかもしれない。
つまり、この時点で答えを出すのはまだ「もしも」の範囲から抜け出せていないのだ(問題の定義が出来ていないという点では不毛かもしれないが)。
では、実際に叩いてみる。
少なくとも目の前にある壁は建築家が仕事をさぼらなかったおがげで壊れなかった。
この時点で「壊れなかった現象」は現実へ、「壊れた現象」は仮定へとカテゴリー分けができた。
よって、この話は不毛へと変化した。
未来は過去へ
前章で不毛でなかった話が不毛となった話へと変化した瞬間を見たわけだが、この違いはなんだろうか。この瞬間とはまさしく壁を叩いた瞬間である。
つまり、未来が過去へと変化した瞬間、話は不毛へと切り替わったのである。
未来の自分は誰かを殴ることだってできるし、すぐに就寝することだってできる。
しかし、過去の自分は人を殴らず、就寝もせずに文章を書いている(もしくは読んでいる)。
こういう点では、未来というのはすべてが「もしも」なのである。
そこから(予想されていたかは別として)一つ選ばれたものが事実として目の前に現れる。
つまり、あることが今事実ならばその昔は「もしも」なのだ。
しかし、今「もしも」であることが過去に事実であったことは必ずないのである。
むしろ予想される「もしも」(未来)の中で事実(過去)とならないのがほとんどである。
よって、我々が考えるべきは過去ではなく未来なのだ。
=後悔先に立たず、予想後に立たず
未来を予想することは生きていく上で必要不可欠である。特に危険を察知できなけではこの年まで生きていないはずだ。
だからこそ、「もしも」という世界を侮ってはいけないのだ。
少なくとも未来に対する予想は良きパートナーとしてこれからも並んで歩くだろう。
では、過去を予想することは不要なのだろうか。
人類は幾度となく失敗を体験し、その都度後悔を感じてきた。
後悔は「もしあの時○○だったら」という構文で表すことができる。
そしてこのような過去の予想は未来の予想へと繋がっていくのだと思う。
「走ったら転んだので、次は気を付けて歩こう」などと言った繋がりはまさに過去の予想(走らなければ転ばない)が未来へと繋がった例だろう。
つまり、過去の予想だろうと必ずしも不毛とは限らないのだ。
仮定は最高の薬剤師
「もしも」の世界は、頭の中にしかないものであり、言わばパラレルワールドのようなものである。だからこそ、自分の「もしも」は誰かの「リアル」なのかもしれないということに私は畏怖すら覚える。
「もしも」に浸っている間は現実を忘れてさせるが、ある時突然副作用が出てきて、現実へと引き戻された体は疲労感に苛まれ、いずれ思考さえも億劫だと感じてしまう。
それはまるで薬のようなもので、また「もしも」の世界を求めてしまうのだ。
人間というのは非常に脆い生き物である。
決して現実だけでは補えないものが存在し、それを薬の幻覚で神だ仏だと言って埋め合わせようとしている。
このような反合理主義に縋るより、直視した現実の色を確認する能力こそ現代の我々にとって必要なのではないのだろうか。
しかし、そんな結論を導き出してまでも、私含め人類は「もしも」を求める。
それは人類に残された最後の逃走本能である。
だからこそ、仮定に縋り、予想に頼って生きていかなければならないのだ。
非現実を受け入れたその体には、諦念がまた動いた。