現状
死刑制度が存在する国では、死刑は最高刑として扱われ、日本では殺人罪や国家反逆罪などの極めて重い罪に適用される。死刑が適用される行為は宗教や価値観によって異なり、例えば不倫や同性愛までもが死刑になり得る範囲となっている国も存在する。
現在、108の国で死刑制度は廃止されており、死刑制度を存続させている国は少数である。
死刑制度が何のために必要・不必要か考える前に、まずは廃止派と存続派双方の主張をまとめよう。
・死刑制度廃止派
①死刑は,野蛮であり残酷であるから廃止すべきである。
②死刑の廃止は国際的潮流であるので,我が国においても死刑を廃止すべきである。
③死刑は,憲法第36条が絶対的に禁止する「残虐な刑罰」に該当する。
④死刑は,一度執行すると取り返しがつかないから,裁判に誤判の可能性がある以上,死刑は廃止すべきである。
⑤死刑に犯罪を抑止する効果があるか否かは疑わしい
⑥犯人には被害者・遺族に被害弁償をさせ,生涯,罪を償わせるべきである。
⑦どんな凶悪な犯罪者であっても更生の可能性はある。
・死刑制度存続派
①人を殺した者は,自らの生命をもって罪を償うべきである。
②一定の極悪非道な犯人に対しては死刑を科すべきであるとするのが,国民の一般的な法的確信である。
③最高裁判所の判例上,死刑は憲法にも適合する刑罰である。
④誤判が許されないことは,死刑以外の刑罰についても同様である。
⑤死刑制度の威嚇力は犯罪抑止に必要である。
⑥被害者・遺族の心情からすれば死刑制度は必要である。
⑦凶悪な犯罪者による再犯を防止するために死刑が必要である。
https://www.moj.go.jp/content/000053167.pdf
両者の主張はどちらも納得させられる部分があり、これだけを見ると正直埒が明かない。
そのため、次に刑罰そのものについて注目してみよう。
刑罰の役割
刑罰は主に応報刑(罪に対する報復)と教育刑(再犯の防止)の二つの役割があると考えられている。urlhttps://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/saibaninnominasamahe.pdf]
また、1948~2006年の犯罪者から無作為に100万人を抽出して分析した結果、再犯者は28.9%なのに対し、再犯者による犯罪件数は57.7%となっている。
https://www.moj.go.jp/content/000010209.pdf
このことから教育刑としての刑罰が必要だと考えられる。
その一方、死刑に関してはどうも応報刑としての側面が強いと感じる。
存続派の主張①や⑥がまさしくそれである。
一応主張⑦の考え方は教育刑だが、これを証明するようなデータは存在しない。
https://www.moj.go.jp/content/000074783.pdf
つまり、死刑は教育刑として不十分な刑罰である。
罪と時間の等価性
それでは、死刑制度は廃止すべきなのか。ここで、「等価刑」という概念を加えてみたい(勝手な造語である)。
等価刑とは、犯罪は自分の時間や財産と等価である、ということを前提にした刑罰である。
現在、日本では刑法9条によって刑罰の種類が決められており、その刑罰の剥奪する法益の種類によって分類されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E7%BD%B0
例えば、死刑は生命刑(生命の剥奪)、懲役や禁錮は自由刑(追放や拘禁などによる身体の自由の剥奪)、罰金は財産刑(財物や金銭の剥奪)といった具合である。
ここで重要なのが、「犯罪を犯したから刑罰を受ける」のではなく、「刑罰を受ければ罪を犯せる」という発想である。
例えば、名誉棄損罪は「三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金」という処罰が下される。
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=140AC0000000045
つまり、3年という時間か50万円という金銭さえ捨てれば名誉棄損をすることができるのだ。
この発想から考えると、時間や財産などを犯罪を犯す「権利」に交換することができる、とみなせる。
よって、犯罪と時間や財産は等価である。
話を死刑に戻すと、「等価刑」の下では、自分の生命と引き換えに殺人を犯したり、水道に毒を混ぜたり、汽車を転覆したりすることができるのだ。
なぜなら、これらの犯罪は生命と等価であることを法律が定義しているからである。
結論
重要なことは、等価刑において死刑の存続か廃止かは問題にならないということである。どの犯罪がどのくらいの時間や財産と等価であるかはその時々の風潮や価値観によって変化するため、これで死刑が必要ならば存続するべきであり、そうでなければ廃止すべきである。
ただ、上記より、死刑制度が今現在では必要である、ということを証明したからにはこの文章は存続派のものとして取り扱うべきなのだと思う。
追記:この文章を書くにあたって
死刑の存続問題に関しては度々話題に上がっていたため、昔から関心は高かった。ただ、私は元々死刑制度廃止派だった。
なぜなら、存続派の意見が「被害者の遺族の感情を無視するのか」「殺人犯に生きる権利は無い」など感情任せの発言が多かったからだ。
今でもそういった理論を主張する存続派とは分かり合えないと思う。
ただ、現在まで死刑制度が続いているのはそれなりの理由があるはずだとも思い、ちゃんと文章にしてみた。
正直、こういった「刑罰を受ければ罪を犯せる」という発想はネットにいくらでも転がっていたのでわざわざ投稿するほどでもないような気がする。
この理論では一つ問題がある。
それは、無敵の人を量産する可能性があることだ。
自暴自棄になれば人間なにをしでかすか分からないし、それが懸念事項ではある。
セーフティーネットを設けて無敵の人を減らすくらいしか解決策は思いつかないが、とにかくわざわざ犯罪に命を交換する必要のない世の中になってほしいね。
また、犯罪を助長するものではありません。