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初期衝動の神格化、よくない
ついさっき「ロックの初期衝動」という言葉を聞いた。どうやら「売れる前の段階の感情」みたいなニュアンスらしい。
それで、もしかすると僕は初期衝動を欲しているのではないか、と思った。

今回は音楽の領域を離れて、初期衝動を「何か始めるときの情熱」と定義づけしてみたい。
人間は幸か不幸かそれなりに高度な予測能力を持ち、それを無自覚に意識していると思う。「モノが当たりそうだから避ける」とか「今日は休日で混みそうだから早めに家を出る」とか、そういった具合だ。
しかし、この予測能力が現実と実感のズレによってたまにバグる。何か物事を始めるとき、感覚がわからないからこそ、過大に期待をしてしまうことがある。僕の場合は、例えばこのブログを立ち上げたときには「人が来てくれたらいいなあ」と今では恥ずかしい妄想を起こしていた。

では、一体この距離感のズレは何によって引き起こされたのか考えてみる。
好きなアーティストのインタビュー記事を読むと、その道に進んだきっかけや最初期の話題が出てくる。そしてそういう時期って、やはりロックでとてもかっこいい。
しかし冷静に考えてみると、これは名を揚げたからそう思えるのではないのか。売れずに辞めたアーティストや芸人など山のようにいるが、それに蓋をして綺麗な部分にだけ目を向けるのは生存者バイアスのようだ。
そういう影の部分を無視して初期の環境に憧れてしまう、愚かでどうしようもないと思う。

誰かの初期衝動の話を聞いて抱いた過度な期待はどういう結末を迎えるだろうか。
何か始めるときは、もちろん構想を練って、実行に移す。最初はその期待と情熱とビギナーズラックで何とかなるだろう。しかしあるとき、急に興味を無くしてしまう。
それは手詰まり状態が何日も続いたり、満足してしまったりすることが原因だろう。ザッカーバーグは「Done is better than perfect.」って言ったけど、この言葉をそのまま飲み込んで無理やり完成させると、何かやり遂げた感と同時に期待が裏切られた感じする。そしていよいよ放り投げてしまう。そして後で思い出して見てみるが、あの時の期待と情熱を失ったためにあの頃と比べて手が進まず、もしくはどこから手をつければいいのかわからなくなり、いよいよ死んでしまう。
とりあえずでも完成してしまうと、それは親元を離れて遠くに行ってしまい、もう帰ってこない。

問題なのは期待だけをモチベーションに行動を起こしてしまうことだと思う。もっと現実主義で考え、純粋な興味や創造心で生きていけば、もっと上手くいくような気がする。

でもやっぱりこういうの見ると、憧れてしまう。
どっかで拾った創設間もないAmazonのオフィス

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